Day8-1月2日 暴風雪 停滞
「ミシッ!…ズン!!」
寝袋に入ったま身体の上に重い塊がのしかかっていた
足は何とか動かせるが身動上半身は身じろぎすることすらできない
咄嗟に腕を顔の前にもってきて僅かな空間を確保していた
「崩れた!埋まってる!!」
と大きな声を出して他の人間に伝える
雪洞が崩れテントごと埋められたのである
周りの状況は分からなかったが、少なくとも別のテントにいる鈴木とテツは埋まっていないはずだ
暫くすると少しずつ身体にかかる重みは少なくなり、ようやく起き上がることができた
雪洞は完全に崩れたわけではなく、前日穴の開いた天井を塞いだ薄い板の上に雪が積もって重みに耐えきれなくなり崩れ落ちたようだった
私は怪我がなかったが、足を雪に潰されたタクの足首はおかしな方向に曲げられて挫いてしまったそうだ
ちょうど起床時間に近い時刻で手荒いモーニングコールとなった
今日は大荒れ予報だったので初めから停滞予定でゆっくりできるはずが
朝から雪洞を堀直す重労働となった
テントを収めるだけの大きさの雪洞を掘るには2~3時間は優にかかる
ウェアは雪まみれになって濡れるし腕や腰にかかる負担も大きい
今度は天井を崩すことなく大きな雪洞を掘ることができた
日中はこれまでの疲れを癒し、まったりと過ごす
濡れた手袋や衣類を時間を掛けて乾かす
こうしたリカバリーは翌日以降の行動のためには大切なことだ
夜になって寝る前にまた天井が落ちないか不安になる
雪洞では一晩たつと熱でどうしても天井が下がるのが常だが、既に大きくたわみ縦にクラックが入っている
こんな時は天井を削って空間を広くしなければならない
少しずつそぎ落とすように削っていると横にクラックが走って大きな塊がテントの上に落ちてしまった…
雪洞自体が崩れたわけではないが、このためにテントのポールが折れた
なんとか修復するが今後、果たして風雪に耐えられるのだろうか?
雪塊はタクの頭の上に落ちたようで、今度は首を痛めたそうだ
ついてないヤツだ
そもそも雪洞の作り方に問題があった
本当は二つの雪洞を通路で繋ぐ予定だったが気づいたら一つの大きな長い雪洞が出来上がっていた
また天井はアーチ型にするのが基本だが四角に近い形状になっていた
現場監督の指揮がうまく伝わっていなかったのが悔やまれる
雪を取り除いてようやく寝袋に潜り込む
その夜、私は幾度となく目覚めることとなった
「ミシッ!」という音が時折、響いたからだ…
またも天井が崩れるのか!と身構えるが何事もない
その正体はタクが寝返りを打つたびに彼のエアマットが軋む音であったが
私の安眠を妨げるには十分だった
そして山行が終わるまでそれは続くのであった…
Day9-1月3日 雪時々晴れのち風雪
P2直下の雪洞から這い出してP1へ登り返す
地形図上では困難はなさそうだったが藪の急斜面や深い雪で以外に面倒くさい
それでも前日までとは比べ物にならないほど距離を稼ぐことができる
本来の予定ではハシゴ谷乗越から剱沢小屋に降りて源次郎尾根と前剱東尾根に分かれて登攀するはずだったが
今後の予報を考えると剱沢に降り立つのはリスクが高すぎる
残念だが全員揃って真砂尾根経由で剱御前から剱岳を目指す方針となった
雪は降っているが時折、太陽が顔を出す
予報では天気だったがすぐに日差しはなくなり、時間とともに風と雪が強まってきた
やはり後立山から剱岳に近づくにつれ天気は悪くなっていくようだった
ハシゴ谷乗越を過ぎて2226mあたりまで登ると本格的に荒れだしたので早めに行動を終える
効率を考えて完全な雪洞を掘るのではなく、まず半雪洞をつくりブロックの壁で覆う作戦にした
雪洞堀り、ブロック積みも少しずつ上達が見られる
この日は何のトラブルもなく過ぎるかとホッとして寝袋に入ったところ
「ボン!ボン!ボン!」と音が響いた
私のエアマットの隔壁が剥がれ真ん中が風船のように膨らんでいる…
完全なパンクではなかったが寝心地は頗る悪い
何せ平たいはずのマットが部分的に円柱状に丸く膨らんでいるのだから
半身を円柱に載せ半ば中に浮くような形で強引に眠りについた
その後、一晩ごとに隔壁は少しずつ剥がれていき横たわることのできるスペースは狭くなっていくのであった…
Day10-1月4日 風雪のち暴風雪
風雪の中、真砂尾根をたどる
ラッセルもこれまでと比べると随分軽く、一歩ごとに高度を上げることができる
風は強く、寒さも次第に厳しさを増す
内蔵助山荘は風に現れるようにポツンと建っていた
近くの尾根は雪が飛ばされ岩がむき出しになっている
岩が見えていると天気が悪くとも地形を把握することができるので方向を定めやすくなる
昼前についたのでこのまま剱御前を目指す
まずは真砂岳へ登って進路を西に変える
あと一息で山頂といったところでいきなり胸までのラッセルとなった
稜線の雪は飛ばされているものと高をくくっていたが面をくらう
雪をかき分け登っていくにつれ完全なる白の世界となった
こうなると広い稜線はどこが山頂か分からなくなる
コンパスを使ってホワイトアウトナヴィゲーションで進路を定める方法もあるが吹き抜ける風が立ち止まることを許してくれない
闇雲に下っていくのはあまりにリスクが高い
止む無く内蔵助山荘へ戻り雪洞を掘ることにした
山荘のすぐ脇にイグルーで塞がれた雪洞がありワカンやアイゼンが置かれているのを見つけた
黒部別山北尾根から八ツ峰を目指した富山起点のパーティーが籠っているようだ
彼らは我々より早く入山し、クリスマスあたりの大寒波を乗り越えてきたのだろう
後に話を聞いたところによると既に2日前に内蔵助についてそれから停滞していたそうだ
周囲の雪が少なく雪洞を掘るのが難しかったがこの強風下でテントは厳しい
なんせポールも折れている
長年の勘で吹き溜まりを見つけ出して暴風の中、穴を掘る
なんとか深さも確保できてテントを押し込むことができた
雪が滝のように流れ込んできて雪洞を埋める
止む無くブロックで入り口を塞いでせっかく掘った穴が埋めるのを食い止める
雪洞の間の通路はないので夕方の打ち合わせの時間だけ決めて穴に籠ることとした
予報は明日も大荒れ停滞濃厚である
日課である水作りを淡々とこなす
すると和田とタクが頭が痛いと訴え始める
私も心なしか頭がくらくらする
そのうちタクが「ダメだ…」といって横になり始めた
これまでの経験上、間違いないく一酸化炭素中毒であると察した
ライターを点けてると火がつかない
やはり間違いなく酸素が不足していた
埋まった雪洞を開通させて新鮮な空気を取り込む
暫くすると皆、調子を取り戻すことが出来た
気を付けてはいたが危機一髪であった
雪洞が埋められても雪には空気が沢山含まれているのである程度は問題ないことを知っていいたが今回は違ったようだ
少ない経験をもとに判断することの危うさを思い知った
テント内、雪洞内での一酸化炭素中毒による死亡事故は思いのほか多い
症状は気付かないうちに進行し眠くなる眠ったらおしまい
同じテント内でも座っていいる場所によって影響は随分違う
当然、入り口近くにいる者のほうが安全だ
寒さを取るか安心を取るかはあなた次第である
炊事の際に入り口を空けておくことは当然として蝋燭をともして置いたり小まめにライターの点灯確認をすることが事故を防ぐ一つの方策かもしれない
Day11-1月5日 暴風雪 停滞
雪洞内は静かだが外は荒れ狂っている
直ぐそばにあるはずの内蔵助の小屋も風雪にかすんで見えないほど
久方振りにゆっくりと過ごして回復に努める
テント内の話題は大概、中学生レベルの下ネタか隣のテントにいる鈴木とテツのモノマネ、
鈴木のハプニングを替え歌にしてみたり…あとはひたすらトランプを楽しむ
長いテント生活で腰も痛む、テント内に「コスイデー」の声がこだまする
山形出身の私と山形在住の和田がいるのでテント内標準語は山形弁なのである
昨日までの予報はしばらく悪天が続くとのことだった
好天でなくては剱は越えられない
早月尾根下降の厳しさは身をもって知っているから
安全策としては室堂経由で弥陀ヶ原を延々とラッセルして立山駅を目指すルート
危険度はかなり低いがラッセルの労力は計り知れない
剱を越えることは8割がた諦めていたところ夕方、予報を確認すると歓喜の声が上がった
「高気圧が張り出して明日は晴天となる、更に明後日の午前中まで天気は持ちそう」と急に予報が変わったのだ
こうなれば剱を越えた方が難易度は高いが労力は少ない
最後の最後に天候が味方してくれたのだ!
明日は剱御前から別山尾根をたどり早月小屋まで、最低でも早月尾根の悪場を抜けたい
夕食は私の持ってきたとっておきの食材
ウナギの蒲焼を投入!!!
それはもはや飲み物のごとくスルスルと胃の中に納まって瞬く間に消え失せた
苦行のラッセルは長く至福のディナーは一瞬
時の流れは一定ではないことを知る
ともかく明日への英気を養うことができた
予報にはたいてい裏切られることが多いが、極まれにプレゼントをくれることがあるらしい
トランプの大富豪でいうところの「革命」が起きることもあるらしい