Day4-12月29日 風雪
前日の夕方から降り出した雪は止むことなく降り続けている
昨夜は一度、腹の底に響くような雪崩の音で目覚めたが「ここは大丈夫」と気にしないように努める
確かにオーバーハングした岩壁の下で対岸も尾根状だから雪崩の直撃はないだろう
だがここは黒部、想像以上の規模のものがないとも限らない
とは言っても結局できることは「腹をくくる」こと以外にはない
昨日付けたトレースは半ば埋まっていた
内蔵助谷を合わせると黒部川の水量も各段に増えて渡渉も容易ではなくなってくる
見上げると「黒部の巨人」と呼ばれる丸山東壁が鋼鉄の鎧をまとって大きい
内蔵助出合の手前で昨日見つけておいた渡渉ポイントから丸山側に渡る
そこから内蔵助谷に掛かった橋を渡って南尾根へと取り付く
佐藤と和田はワカンを履いてトレースをつけるために先行していた
尾根に乗るために新雪を載せた斜面をラッセルしていると和田が叫んだ
「テツが落ちた!」
振り返るとテツの姿はない
急いで戻ると内蔵助に掛かる橋からテツは2mほど下に落ちていた
幸い下は深い雪で怪我はないらしい
橋の上には50㎝ほどの積雪があり片側は雪庇状に橋からせり出していた
その雪庇を踏み抜き、気づいたときには落ちていたそうだ
後続の鈴木にテツが落ちたことを伝えザックを先に橋の上に引き上げようとしていた
ふと後ろを見ると鈴木の姿が忽然と消えている…
よく見ると橋の下で何やら悪態をつく鈴木がそこにいた
テツは自力で復帰できそうだったので鈴木のもとへ駆けつけると彼は言った…
「畜生!クソったれ!落ちた!」
聞けは橋を渡っている際に上流側に落ちて胸まで水に浸かり、流され…
橋をくぐって下流側に出て何とか這い上がったとのことであった…
黒部横断において橋のない十字峡あたりでは衣服を脱いで渡渉するキチガイじみた記録を見ることがあるが
衣服をつけ、靴を履いたまま厳冬の黒部川に入ったのは鈴木くらいのものであろう
このことは我がG登攀クラブの歴史に深く刻まれ
後世にまで長く語り継がれる武勇伝となるに違いない…
私は即座にその場にテントを建てるように指示し、
鈴木をタクに任せてしっかりと衣服を乾かしてから追いかけるように伝えた
後に聞いた話によると鈴木のブーツを逆さまにすると水がザ~と流れ出たとのことだった
怪我がなかったことだけが救いであったが、完全なる地獄であるとも言えた
先行組3人で交代しながら藪をかいくぐりながらラッセルする
途中からは雪の下にスラブ状の岩が現れロープを出して通過する
後続2名の為にロープはフィックスしておかなければならないため、2ピッチ分しか進めない(ロープが2本しかないため)
それほど難しい場所でなくても30キロオーバーの重荷では難度は倍増する
15時過ぎにP7下のコルとおぼしきと場所に着いた
トラブルがあった割には最低限の目標地点まで到達できたことに安堵する
テント2張分の整地を入念に行い4人用テントを建て終わるころに後続の2名が登ってきた
幸い鈴木も戦線に復帰できたようだ
少し気弱なことを言っていたが「問題ないっしょ、順調順調!」と受け流す
明日の為に佐藤・和田は目の前の岩場にロープを固定しに行き、その間に水づくりをしておいてもらう
1ピッチ伸ばすと易しい雪稜となったのでできる限りトレースをつけて帰還
Day5-12月30日 晴れ時々雪
朝飯を食べて準備を整えてもうすぐテントを出ようかというときに隣のテントの鈴木から声が掛かった…
「スマン、一酸化炭素中毒になったっぽい…。出発をしばらく遅らせて貰えないか…」
「了解。大丈夫か~」と声を掛けるが内心は「昨日に引き続き人騒がせな奴だ…」と思った
昨日の入水に続いて…災難は続く
しばらくした後、大丈夫そうなのであらためて出発する
出だしの小岩壁を倒木を利用して越える
基本的にラッセルだが所々、急な場所が現れる
今日の作戦はラッセルの得意な佐藤・和田が軽い荷で先行し重荷の後続組はトレースをたどるという作戦だ
雪をまとった尾根には多くの罠が仕掛けられている
木の下にぽっかりと大穴が口を空け、その上は雪で覆われ隠されている
一度、踏み抜くと這い上がるのに一苦労だ
大きな危険がなくとも念のためロープを固定する
ここ黒部では些細な怪我でも容易に敗退はできない
安全が確保できていれば重荷での行動でも早い
天気がいいので行く先を見通すことができたが南尾根は思いのほか険しい様相を呈している
その姿は藪に覆われた前穂北尾根あるいは剱岳八ツ峰といったところか
15時くらいに南尾根の核心部であるP5・二段岩壁の下へと着いた
重荷で疲労の見えるメンバーにテント設営を任せ昨日同様、空身でロープを張りに行く
見上げる壁は思いのほか傾斜が強い
雪壁をトラバースしてルンゼを登る
以前の記録によると必要なプロテクションはトライカム少々とのこと
ランナウトしつつ脆い岩に中間支点を作っていく
登るにつれ岩は脆さを増し怪しげな岩をどんどん落としながら登る
ビレイ点を作れるほど強固な支点はつくれず先に進む以外の選択肢はない
5つばかりあったトライカムはとうに使い果たし既に7mほどランナウトしている
見上げる先は更に傾斜を増しわずかではあるがハングがある
更にピークの上まで10m以上はあるだろう
そもそも60mのピッチにトライカム5つとスリングではあまりに心もとない
スリングを掛けられるようなピナクルもないに等しい(浮き石は豊富だが)
直上するのがクライミングとしては正しいラインであるのは重々承知しながら先に見えるハーケンに導かれるように
左、左へと逃げのラインどりをしてしまう、己の弱い心にガッカリするが安全を優先する
「必要なプロテクションはトライカム少々」とは正確に言うと「トライカム少々のプロテクションしか取れない」という意味であったのか…
なんとか灌木で支点を作って和田を迎える
1ピッチで抜けられなかったため続く和田のピッチもなかなkに渋かった
とにかく岩が脆く支点をとるのが容易ではない
さすが日本三大ボロ壁と噂される大タテガビン南東壁を側壁にもつ南尾根である
見下ろすと既にテントが張られている、むしろそれだけ時間を掛けてしまったというべきか…
日没する前に懸垂を終えたが連日の残業はなかなかシンドイ
Day6-12月31日 晴れのち風雪
朝一で昨日張ったロープを登り返す
小ハングを越える際にハーケンを見つけてアブミとするが体重を半分も掛けないうちに簡単に抜けてしまった…
登り返しに慣れないメンバーのザックは一部荷揚げして通過する
幸い太陽も出て穏やかな天気
5人での登攀は時間もかかり複雑なタクティクスが必要だ
スタカット、フィックス、コンテを適切に判断して使い分けていく
続く上部岩壁もとにかく岩が脆い
いうなれば積木の上に雪をかぶせた状態
引っ張れば大抵崩れるので荷重方向を考えてだましだまし登る
部分的に傾斜もあって慎重に登る
ややこしい懸垂下降から雪壁をトラバース
尾根の弱点をつきながら高度を稼ぐ
ひたすらラッセルをしてP4頂上付近にテントを張る
賢明な読者はお気づきだろう、背後の黒部ダムは一向に遠ざかっていないことに…