立ち込めていた濃密なガスは日の出とともに吹き払われ、眩い朝日の光が円かな火打山の山頂部にほのかな紅の色をさした。
梅雨時の厚い雲を突き抜ける陽光は力強く、澄み渡る青空に鬱屈とした気持ちも一瞬で晴らしてくれる。
雲海が地上を覆い尽くし山上にいる者だけが太陽の光を浴びていた。
爽やかな風が吹き抜け、目指す焼山も姿を現した。
今回の縦走は5年以上前から何度も計画しては頓挫していた。
度重なる噴火活動の活発化により入山規制が敷かれていたからだ。
昨年、解除の報がはいったのでいざ、歩こうとしたら火打山から先は「通行止め」の表示が掲げられているとのことで断念した。
その後、高谷池ヒュッテのスタッフの方に話を聞く機会を得たので確認すると、正式な「通行止め」ではないことが確認され登山届を出せば通行できるとのことであった。
そもそも本来、通行できるかできないかは登山者が判断するものであって行政が判断するものではないように思う。(噴火活動による規制は法律に基づいているので別として)
観光地化された山や道であればいざ知れず、それ以外の山では整備されているかされていないかだけ知らせてくれればよい。
今年の南アルプスの措置も同様だ。山小屋や救護所がないからといって遭難時のリスクは高まるだろうが、それを含めて行けるかどうか登山者が決めればよいのである。
山小屋に助けをかりたい人は休業中なら行かなければ良いし、あてにしない人は構わず歩けばよい。そもそも山小屋のない山の方が日本には圧倒的に多いのだから。
休業中ということだけ知らせてくれれば良い。
そうでなければ整備された道のない沢登や雪山登山は成り立たない。
逆に山小屋があれば安全ということもまったくない。
大前提として山小屋や救助に頼らず登山を完遂させる準備がなくてはならないはずである。
救助体制が整っていないのであれば、覚悟の上で入山するべきだ。
逆に言うと、その覚悟がないのであれば山に入るべきではないともいえる。(極論だが)
もちろんトイレ・その他の問題もあるだろうがこれは別の議論である。
流れる雲にブロッケンの妖怪が表れた。
影火打の山頂はまさしく「影火打」が映し出される場所にある。
この先、刈り払いを数年行っていないのでヤブが酷いらしい。
藪の下の道形は残っているとのことなので挑戦することとした。
歩き始めは花を楽しむ余裕があったが、次第にヤブは深さを増し進路を妨げるようになった。
溝状の登山道はもれなくヤブに隠され足で探らないと段差が分からない。
時には背丈を越すヤブの中を這うようにして進む。
特に銅抜けキレットのあたりは完全に道も失われ、時折現われる赤布がなくてはそこが道であったのかすら確認できない有様であった。
普段歩いている登山道がいかに管理され、整備されているか思い知る。
2000m付近の元気な植生は数年で自然に還る力を持っている。
近くて遠い焼山への道。
藪の中では風も抜けず、鋭い日差しによって明け方までの雨で濡れた地面や草木は蒸気を発してサウナを作り出していた。
気温も上がって、まさに熱中症へまっしぐらの条件が整っていた。
焼山の中腹まで上り詰めるとようやく風の抜ける草原へと出ることができた。
身体にこもった熱を冷ますには暫く時間が掛かった。
日差しが強いが風は心地よかった。
時間が許せばいつまでも昼寝していたい気持ちだった…が先は長い。
焼山の山頂には小さな手作りの標識がポツンと佇んでいた。
背後にはどこまでも続く雲海が広がっていた。
進む先には金山、雨飾山が並んでいる。
遠くに白馬から朝日岳の稜線が白く残雪を輝かせていた。
山頂部はいかにも火山らしく巨岩が立ち並んでいる。
一羽の雷鳥が私たちを出迎えてくれた。
泊岩の避難小屋はまさしく避難するための小屋。
万が一噴火しても頑丈な屋根があるので安心だ。
小屋の周囲には沢山の花が咲いていて疲れた心と身体をいやしてくれた。
この先、金山、天狗原山と縦走したいところだったが、ヤブに時間を奪われ暑さにも身体がまだ慣れていないため無理は禁物。新潟側の笹倉温泉へと下山した。
こちらは崩壊地を除いてはとてもよく整備されていて歩きやすかった。
長年の悲願であった焼山登頂は一筋縄ではいかなかったが、なんとか山頂を踏むことができ満足のいくものだった。
来年は刈り払いの許可が下りたそうなので、ヤブ愛好家以外は状況を窺ってから歩くことをお勧めする。